本丸より (16)

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ポール・サイモンが作った曲のひとつに"Fifty Ways to Leave Your Lover(恋人と別れる50の方法)"というタイトルのものがある

私が初めてそれを聞いたのは、1982年にセントラルパークで行われたサイモン&ガーファンクルのフリーコンサートのビデオの中だった。

私はてっきり、ポール・サイモンが1から50まで、その“方法”とやらを延々と歌って聞かせてくれるものだと思っていたのだけれども、結局最後まで方法らしい方法は語られないままその曲は終わってしまった。

思えば、歌には愛しい人へのせつなさや、フラれた悲しみ、はたまた恨み節のようなものや未練たらたらな想いは歌われているものだけど、理路整然と別れる方法をとくと語っている歌はなかなか見あたらない。

アメリカという国はよく“訴訟の国”と呼ばれるだけあって、なにかと弁護士が関ることが多く、毎日届くダイレクトeメールの中にも「1ドルで離婚できます。今すぐクリック!」などというものもある。

恋人と別れることはともかくとして、恋を失う、つまり“失恋”には大きく2つのパターンがあると思う。
ひとつは、相手に想いが受け入れられない、相手にされないという「フラれ」状態で、もうひとつは、深く恋い焦がれていたにもかかわらず、自分自身の気持が何かがきっかけで(あるいは訳もなく)冷めてしまってシラケ状態に陥ることである。
前者にくらべて後者のほうは何も重苦しいことはないように思えるかもしれないけれど、ある一定の方向に熱心に向かっていた(向かわせていた)愛情(あるいは思い込み)の行き先を失うという点に関しては、どちらも同じような喪失感に悩ませられる。

もうひとつ付け加えるとしたら、失恋だけでなく、欲しくて欲しくてしかたなかった相手の気持をなんとか手に入れようと日夜努力を重ねた甲斐あって思い通りに恋が成就したあとも、幸せな気持とは裏腹に、多分似たような喪失感を味わう人もいるだろう。

それらはまるで、オリンピック後症候群のようでもある。
メダルを獲得しようとしまいと、それまでの目標が通り過ぎてしまうと、ほぼ習慣と化した“気持”の持っていきようが、なかなか見つからなくて、途方に暮れてしまう。

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